やぁ!
山岡ソースケ(@sosuke_eureka22)です。
売文業をするに際し、やっぱり必要となるのは、自分なりの、自分にしかできない表現である。
なんてことは誰でも何となく想像できることでしょう。
では自分にしかできない表現ってなんじゃらほい??
それって、文体とか言葉のチョイスではなくて、「切り口」だと思うんですよ。
だって言葉の数なんてのは上限がありますからね。国語辞典に載ってるのが限界値。それをぶっ飛ばして新しい言葉を作ったって、それじゃ読み手に伝わらない。
「切り口」なんていうとちょっとわかりにくいかもしれませんが、すごいざっくりと、チャラく表現するなら、「例え話」がしっくりくるかな。
これこそが、自分にしかできない表現をするために必要な要素だな、と。
表現にも、『視力』みたいな概念がある。
お笑いなんかでもあるんですけど、表現にも適正距離…『視力』みたいな概念があるんですよ。
ベタ過ぎてもダメだし、突拍子が無さ過ぎてもダメ。
例えば『おいしい』ってことを表現するとして…。
『ほっぺたが落ちる』なんて表現はベタ過ぎ。視力で言えば、目の前に置かれ過ぎてて、もはや鬱陶しく感じてしまうレベル。
『北半球を駆け抜ける』なんて表現しちゃうと突拍子もなさすぎ。マサイ族でも見えへんわ!ぐらい遠くに置いちゃってる感じ。
ちょうど良い位置、読み手にとって一番クッキリ見える位置に、「例え話」を置けるかどうかが、腕の見せどころなんですね。
良い置き場所を確保するためには、知識量を増やすしかない。
「例え話」の厄介なところは、それぞれ置き場所が決まってしまっているところ。
さっき言った『ほっぺたが落ちる』という「例え話」は、いつどんな時に使ってもベタ。常に目の前に置かれてしまう。
だから良い置きな場所を確保するには、その場所に置ける「例え話」を確保するしか方法がない。保有数こそが重要ということですね。
じゃあその保有数を増やすにはどうするか?
もはや何の参考にもならないかもしれないですが、知識量を増やす、しかありません。
ネット界では有名な「ガンジーも助走つけて殴るレベル」なんて表現も、そもそもガンジーがどんなことをした人なのか、という知識がないと生まれない。
浅く広くでも良いし、狭く深くでも良いし、要は知識の量が多ければ多いほど、表現の幅は広がるといって良いでしょう。
Wikipediaでもなんでも、入れれるものは全部頭に入れていこう。
「Wikipediaバカ」なんていう、出所不明のウソ情報とかを鵜呑みにしてしまって、真実を全然知らない奴!なんて言葉もあったりはします。
でも、僕はWikipediaバカで良いと思うんですよ。
もちろん、真実というものは大切にしないといけないし、ウソを肯定するわけでもありません。
ただ、それがもしもウソ情報だったとしても、人々の認識として、より知られている方を知識として入れて置いた方が、売文業としては絶対に有益。
例えばエジソンの名言「天才は99%の努力と、1%のひらめきである。」は、努力するからこそ天才になれるんだよー。と解釈されるケースが多いですが、本当はどんなに努力してもひらめきのない奴は天才になれないよー。って意味らしいです。
だからといって、普段なんの努力もしないけど、突如天才的なアイデアを閃く人を表現するときに、「まるでエジソンの名言を体現したような…」なんて言っても、大多数の人は「あれ、エジソンって努力が大事って言ってなかったっけ?」になっちゃいますよ。
正しいかどうかはさて置いて、伝わるか伝わらないかを大切にしないといけない。
※もちろん正しさこそが正義のタイミングもありはしますが…。
そういう意味ではWikipediaバカにでもなんでもなって、知識量をどんどん増やしていくべきってことですね。
気になったら調べるクセを。
とにかく現代社会は情報が氾濫してますから、情報収集には事欠きません。
ちょっとでも気になったことがあったらすぐに調べる。
そうして知識量を増やしていくことが、あなただけの表現を生み出すための、一番の近道です!