やぁ!
山岡ソースケ(@sosuke_eureka22)です。
売文業ならではと言えるのか、
僕は「言葉」が大好きなんですよ。
一つひとつの言葉が持つ、それぞれの意味とか背景とか、そういうものを考えながら、一番しっくり来る言葉を探す。
その作業そのものが好きで、この仕事をしているのかもしれません。
言葉を愛するが故に、言葉に対する独自の価値観も持っていて…。
今回はその価値観を紹介します。
「正しい日本語」が嫌い
僕が文章を書く時は、読み手のことを第一優先に考えます。
年配の人がターゲットならばそれ用に、若い人がターゲットならばそれ用に。
読み手に合わせて言葉をチョイスしていくのが僕のやり方。
※もちろん、クライアントの意向は前提条件として受け入れて、ですが。
そうした時に最も邪魔な存在なのが「正しい日本語」の概念。
僕は言葉というものは、相手に伝わってこそ初めて意味を成すものであると思っています。
だから、正しいというのはイコール、相手に伝わる、ということ。
なのにこの「正しい日本語」はわざわざ回り道させることを強要し、読み手に対して一直線に進む道を通せんぼしてくる。
例えばです。
「施策」という言葉があります。
これは、シサク、と読みます。
でも大体の人は、セサク、って読んでませんか?
じゃあもうセサクでええやん。と思うのです。
「全然、大丈夫」なんていう言葉も、
本来は「全然~ない」という否定の意味をつけるのが正しいけど、みんな普通に使ってる。
じゃあそれが正しいでええやん。と。
古くから使われている言葉が正しいとするならば、
みんな「拙者は」って言ってなきゃダメじゃないですか?
時代時代に合わせて変わっていくから言葉って美しい。
僕はそう思います。
「あ~!なんかわかる!」っていうのが一番好き
僕がまだ会社勤めをしていた頃、向かいの席が若い女性社員で、その子からよく目からウロコをさせられたなぁって記憶してます。
若い子、といっても僕と5歳ぐらいしか違わなかったのですが、色々とその年代ならではの言葉や表現の仕方を学ばせてもらいました。
この子、「これ、してもいいですか?」を「これ、してもよ?」って言うですよ。びっくりですよね。
でも確かに意味は分かる。まぁ敬語を使いなさい的な野暮な話は置いといて。
「いいですか?」が「よ?」ですからね。
こっちも「よ」で返答しますよね。
めちゃくちゃ効率的。スゴイ。
あとすごく印象に残ってるのが一つあって、僕がいた会社のオフィスから、東京スカイツリーが見えるのですが、ある空気の澄んだ晴れた日、彼女がそのスカイツリーを見て言ったんです。
「わぁ、今日のスカイツリー、凛々しい!」って。
僕はバッと振り返って、スカイツリーを見ましたよ。
確かに、凛々しかった。すごく、凛々しかった。
「あ~!なんかわかる!」ちょっと感動すら覚えましたね。
凛々しいって多分ここで使うべき言葉ではないと思う。
でも、でも、なんかわかってしまう。
凛々しいと言われた途端、それが凛々しいものにしか見えなくなる。
言葉が持つ無限のパワーを感じた瞬間でした。
言葉を生業として
売文を生業にする以上、正しい日本語を使わないといけない場面が多いことも知っています。
読み手が正しい日本語を好むなら、そればかり使うことも厭わない。
しかしその一方で、もっともっと言葉が持つ可能性を探っていき、自分ならではの表現を生み出していきたい。
言葉を活かし、言葉に生かされる人生を選んだ僕の、ちょっとした目標です。